昭和50年12月01日 朝の御理解



 御理解 第71節
 「ここへは信心の稽古をしに来るのである。よく稽古をして帰れ。夜夜中どういう事が無いとも限らぬ。おかげは我がうちで受けよ。子供があるものや、日傭取りは出て来るわけに行かぬ。病人があったりすれば捨てておいて参って来る事は出来ぬ。まめな時ここへ参って信心の稽古をしておけ。」

  此処え参って信心の稽古をしておけ、その稽古も手習いも信心も同じだと仰せられるのですから、段々初めはいろはから致します。又は難かしい字であっても、楷書からそして行書草書、と言う様に言わば進んで行きます。と言う様に段々難かしいもの又は味のあるもの、と言う事に稽古が進んで行かなければなりません。でなら皆さんの信心が。それぞれ銘々の所で進められておるので御座いますけれども、信心の焦点というものは必ずしも皆んなが同んなじでなからねばならないと言う事はない。
 けれどもやはり一つの目的というか焦点は、まあそれに向かって本当な事に向かって進んで行くという事でなからねばならない。月末ともなれば一と月の事を締めくくらせて頂いて、今月の焦点であった信心がどの様に身に付いて来たか、一と月を振り返らして頂いて、本当にあれもおかげであった、それは相済まん事であったと、矢張りそういう信心が、例えば、昨日は月末御礼信話会が、毎月御座います。
 その皆さんの発表を聞かして頂きながらそれを感ずる。一と月の信心の締めくくりというものが出来て。そして12月なら12月という月に突入して行く。そこでなら今度は、12月はどこに焦点を置いて、信心の稽古をさせて頂くかと、ですから段々一つその願いも大きくスッキリした、所え置けれる様にならなければならない。もう本当にいうなら祈りの内容も大きく祈り、お願いをさせて貰わなければならん。
 それは例えば。三代金光様の所に或る新聞記者の方がお参りをして、一問一答を試みた時に『金光様あなたは朝から晩まで此処えこうして座っておいでになられて。何を祈り何を神様に願はれますか』という意味の事を質問したそうです、そしたら金光様が『はい世界真の平和を願っています』と仰ったそうです。それは余りにも大きなあまりにも漠然とした事ですから、具体的にお話し下さいというて申し上げたら金光様が、『はい大は小を兼ねますから』と仰った。
 もうこれには新聞記者も一言もなかったと言う事でございます。もう金光様は本当に世界総氏子の事、世界真の平和の事を、もう自分自身の事として祈っておられる。言うならばどうぞ金光教が発展します様に、と言わなくても、世界のいうなら発展を願うならばその世界発展の中に金光教もある訳です。金光教の言うならば教主として願はれん事はありますまいけれども、矢張り大は小を兼ねるという程しの切実心を持って祈って居られた事が、世界真の平和であった、世界総氏子身上安全であった。
 しかもなら小さい私の事、私一家の事、私のところの教団の事それはもうその中に含まれておりますと云う事。今朝から十二月に入らせて頂いた。今月の信心の焦点はと。心の中に念じさせて頂いとりましたら「道聞けば一時に動く田植笠。」と言う是は昔の人のまあ俳句でしようかね、川柳じゃないでしょう「道聞けば一時に動く田植笠」今時はもう機械で植えますからそんな風情もないでしょうけれども、昔は所謂たこの笠を被った男女の人達が、みんなこう一列に並んでそして田植えたもんです。
 それをだから通り掛りの人が一寸一人に道を尋ねた、そしたらいちじに田植笠が動いたというのです。そこでですなら例えば皆さん今月の信心はと、例えばこう皆さん今道を問われたといたしますならばね、一時に動くその田植え笠が同んなじであると言う所に、私は教会の力又は教団の力、今日は教会の力と言う事を思うのです。皆さんどう言う事だと思いますか。今月の信心はというたら、今月は私は此処え賭けますと言う所がどこになっとるでしょうか、やっぱり今月も唯自分の家の身の上安全。
 又は自分の店の商売繁盛の事だけでしょうか。私はそれを頂いた時にです、此処には信心の稽古に来る所であると。その稽古の焦点が何時もどこに置かれてあるかと言う事をです、自分で大抵あか抜けのした信心になったなあとこう思うとるけれども、そういう例えば質問を受けた時にです、自分の信心の程度を分からせて頂くのです。どうでしょうか皆さん、今月の信心は、どうでんこうでんいっちょまあ。
 今月も日々朝参りのおかげを頂いて、この事のおかげを頂かんならん、と言う所は何処にあるか、すぐ皆さんの心をよぎる物。私は何というても、十二月十六日の報徳祭に掛けられなければならないと思いますね。以前は四神様のお祭り、又は九州のお祭りとまで言われました。春秋の御本部の大祭よりも、四神様の御大祭は多かった。もう九州の桂先生が、四神様の言うならば、大恩人二代金光様です。
 四神様あって九州のお道は立った、生神金光大神様天地金の神様と、皆んなは唱えるのですけどその当時の九州の人は、四神貫之の君の神様を一番に唱えたという程しであります。四神様のおかげで、金光教の信心が九州に伝はった、おかげで私共もその御神縁に繋がる事が出来た。もうお供え物一切を九州から整えて、そして御本部での御大祭が奉仕されたと云う事で御座います。その本家本元の九州の言うなら四神様のお祭り、御大祭が段々寂しい事になっている。これはほんとに相済まん事だとこう思います。
 今はその四神様の御大祭とは言わず報徳祭という、その報徳祭のお祭りの内容というですかは、三代金光様それから布教功労者の方達の慰霊のお祭りという事に内容が変わりましたけれども、私共としては矢張り四神様の御大祭であり、三代金光大神様の御大祭で御座います。まして四神様の御大祭が九州のお祭りであるならばです、私は三代生神金光大神様の御大祭は言わば合楽のお祭り、合楽の大恩人である所の三代金光大神様のお祭りだと頂くべきだと私は思います。 
 ここで報徳祭をさせて頂きますのは、まあその教会教会に依って色々違います。けれども此処ではもうすっきりと四神様と三代金光様の報徳のお祭りで御座います。三代金光様がなかったならば、三代金光様が、私が愈々修行が激しくなりお商売が出来なくなり、そん時に善導寺の親先生が私の進退の伺いをして下さった。これからは大坪はどう言う風な道を辿らせて頂いたらよいかと云う事をお伺い下さった時に、それはお道の教師としておかげを受けられたら結構です。というお言葉を頂いた。
 もうそれこそ、私はそういう激しい修行に入っつとったけれども、金光様の先生にならんなんて、全然考えていなかったです。やっぱり何というても、商売で一旗挙げさして頂く程のおかげを頂いて、商売の上でひとつ。お道の御用に立たして頂こうという念願を持っておりましたから。もうそれこそ晴天の霹靂でありました、お道の教師それから私の考え方が一変致しました。
 それから様々な事があって、なら十何年間も十八年間ですかね。人がどんどん助かる様になりましてからでも、矢張りお道の教師としても又は教会としても認められないという時代が永く続きました。そういう時にですもうわざわざ金光教じゃなくてもよいじゃないか、新金光教でもよかりゃ当時金光教神愛会という、会の下に皆んなが信心の稽古をしとったんですから、もう神愛会でも良いじゃないか神愛教でもよいじゃないかと、いう人達すらありました十何年間。そりゃ随分御本部にも皆さんがおいでられて。
 もう何回とはなしにその教師として、又は教会としての認めて頂く事を嘆願に参りましたけれども許されなかった。そういう時に私の心の中にはね、矢張り金光様の御一言がです道の教師として、道と言う事は金光教の道であります。金光道ですの教師として、金光教の教会としておかげを頂く、必ず時節が来るんだとそれを信じきって、お互いに信心を進めさして頂いたんです。 
 あの金光様の御一言がなかったら、本当にどうなっとたか分りません。OO教OO派と言う事になっとったかも知れません。今日この様なおかげを頂いて参りましたのも、いうならば三代金光様のおかげである、三代生神金光大神様、所謂金光摂胤様のおかげである。その大恩人である合楽の大恩人である所の金光様の報徳のみ祭りというのですから、是は皆さんに言うたり責めたりと言う様な事ではありません。
 私自身の信心としてです。にそれ程金光様を、三代様を合楽の言うなら恩人とまで、思はせて頂くくらいならば、本当はも少し覇気のある、本当はもっと積極的な御本部参拝でも、報徳祭の上にでも力が注がれなければならん所を、誠に相済まん事だけれども、まあ今日の状態であると言う事になります。それでも矢張りです、ならこの十二月の焦点といやぁ、なら御本部の報徳祭のお参り参拝でも御座いましょう、夕べ聞かせて頂いたんですけれども、今度は五十名参拝をする様にしてあるそうです。
 それがまあだ四十何名か、まあ五、六名足りないと言う事で御座います。勿論そりゃ出来ましよう出来ましようけれども本当にあの遅々としておるなと思います。報徳祭にはどうでもと言う様な方達がせめて百名、百五十名はなからなければ、合楽としては本当に相済まん事だとは思うのですけれども、だからまあ言わば御本部参拝をなさる方は今月は御本部参拝、しかも私共十二月の参拝は一年中のお礼をも兼ねて何時もお参りをさせて貰います。だから椛目の時代から矢張りその程度の参拝はあっとりました。
 報徳祭は多い時は七十名から参った事があります。私が少し宣伝したから。四神様の事をいうて、そして私がずっとお参りする人のお名前を書き出して、そして廊下に貼ったからその人達が皆んな参った事がありましたから、報徳祭に七十名から椛目のその時分からもう信者は数倍になっとります。だから本当いうならばもっと沢山の人がお参りしなければならない事になっとりますけれども。
 所謂私共の関心がまだ薄いんだと言う風に思いますけれども、一人一人が本当に四神様が九州の大恩人なら、三代金光様は合楽の大恩人としての頂き方をもちっと、身に付けて行かなければ、今後愈々相済まん事になるのじゃないかと杞憂されます。信心の言うならば此処には稽古に来る所、何を持って稽古の焦点としておるか、それは銘々の持っておる様々な問題を通して、稽古さして頂くのですけれども、大きく例えば信心のいうなら、稽古の対象という事がです、教会、合楽教会大発展、と言う事を皆さんが沢山祈っておられる、月々お取り次ぎを頂いておられる。
 お願いなさってる方達があります。本当に教会大発展のおかげ頂くと言う事は、その中の信者もまた発展のおかげを頂くんだと、言うなら大は小を兼ねるんだと、先ずは教会大発展、その中に私一家も同時に、便乗させて頂いておるという様な行き方がです、少しは信心が大きくなり、少しは信心があか抜けしたと、言う事になるのじゃないでしょうか。教会大発展を祈らせて頂くならば、なら今月の合楽の焦点はどこか。
 何というても、矢張り十六日の報徳祭又は御本部の御本部参拝、におかげを頂かなければならない事に、なるのじゃないでしようか。今日私が御神前で頂きました、「道聞けば一時に動く田植笠、」一人の人に道を尋ねたら、そこの十人なら十人の人が田植えしよったのが、いっぺんにパ一ッと頭を上げたとこういうのです。合楽の信心を今月の信心の焦点は、と言うたら皆んなが一時に、報徳祭を目指してと言う事の答えが、一列に出る様なおかげを頂いたら有り難いですね。
 もしそこん所に気付いておられなかった方は、例えば今日からでも良いです、ただ今からでもよいです。はあほんに今月は報徳祭、四神様、三代生神金光大神様の報徳の御大祭、まあいうなら冬の御大祭というてもよいでしょう。そこに愈々有難い言うなら今月の焦点言うならば、盛り上がりをそこに於いて、信心の稽古をさせて頂こうと言う所からです、日頃此処えは信心の稽古に来る所、また最後にもまめな時ここに参って信心の稽古をしておけと、結んで有ります様にです。
 終始変わらぬ私共の信心というものがです、自分と言う事からもっとはましな、本当な事えいやもっとはましな、少しはいうなら大きな信心え飛躍して行っておる事が、信心が進んでおると言う事になるのじゃないでしょうか。矢張り稽古をするからにゃ矢張り信心が進まなければなりません。昨日は私の方の始めは従兄弟会と言う事でした。私の方の父の兄弟が六人あります。その六人の家を取っておる、もう従兄弟達ばっかりになっとります。もう叔父も叔母も亡くなっております。
 言うならばその六人の兄弟が、それぞれに別れてまあ一家をなしとる訳です。こんどの従兄弟会はひとつその従兄弟の子達も寄ろうじゃないかと言う事で寄りましたが、何と六十五名おりました、椛目と妹の所と私の所を入れますと八十名からの。私からいうと従兄弟、従兄弟半と言った様な者が集まり、もう皆初めて見る顔ばかりでした、けれども私は本当に血というものは、ほんとにと思ったんですけど、どれもこれも大坪家の顔でした。もう本当に驚く位よく似てますよ。
 もう一人もう小学校の一年生位の子供がついて来てましたがもう、聡子といっちょん変らんとが居りました、ああ本当にもう私の従兄弟半の子供ですから、もう言うならもう本当に従兄弟は他人の始まりと言われる位ですから、もう道で会うたって知りもせん、ものも言わん位でしいょうけれども、そういう手合いが皆んな集まって参りましたが。どれもこれも矢張り、大坪の顔をしとるといって、皆んなでその小まかつどんがですね。私を見て家のじっちゃまに。
 ここのおっちゃまはよう似とんなさると、何人も言うたです。もう全然私は似とらんと思うけど子供から見ると、自分方のじっちゃまによう似とるとこう言う訳です、本当に血と言う物は、本当に争えません。そして始は全然、初めての者が殆どで御座いますけれども、さあ段々色々映写会を致しましたり、私の話を聞いて貰うたり、それからまあ十二時からでしたから簡単な食事をして、それから三時頃から会食に入らして頂いて夕方まで。もう皆んな風呂を頂いて帰る頃には、本当に親戚だなと思う様な。
 まあ本当にこれから寄せて頂いてそのいうならば、じっちゃまの出里、ばばさまの出里と云う事がね認識出来て、大変喜んで皆帰りましたけれども。私は本当に合楽示現よい示現活動が出来たとこう思いました、この事が話が出ましてその事をお願いさせて頂いとりましたたら、私が富士山に登っておる所、そして後に白衣を着た、あの金剛杖をついた人達がずうと後にあのう継ながって続いて来るところを頂きました。
 それで従兄弟会というか、従兄弟は今いう様に五人しかおりませんです。家をとっておる従兄弟達は、そこからこう分かれたのが所謂八十名、まあ本当集まったら百名位になるでしょう、遠方に行っておるのは来ませんから、しかしまあ本当に私のじいばば二人から百人、本当にこれが家繁盛だと思いました。もうあちら家が絶えたと言う様な所ですらあるのに。しかも私は本当に有難いと思った事は。
 私がお話しの中に、皆んなの所の先祖の御霊達の名前をづうっと唱えさして頂いて、毎日朝晩御霊様に私ご挨拶させて朝晩させて頂いておる事を皆に話ましたから、皆も大変感動致しました。本当に久留米の従兄弟が会長になりまして、開帳が挨拶をしとりましたが、こちらの親先生のお祈りを本当に受けておると、僕達は信ずる。そう思うと、でなかったら是だけの者が皆んなそれぞれに立ち入っておる。
 本当に話を聞きますと皆んなおかげを頂いとります。改めて例えば私の日々の祈りという物が大坪一家なら大坪一家の者、の上に強く出て来ておる事を、感じさせて頂いたんですけれども。そんな訳で従兄弟会と言う事にはもうなりませんので、私がお知らせを頂いておった富士山に登っておる、いうならば頂点を目指して山上を目指してのですから、雪のかかっておる白い所を芙蓉といいます。
 だから芙蓉会という会の名が出来ました。で是からも又こういう会を続けてそしてお祭り、大祭の時皆お参りさせて頂こうと言う様な話も出まして、是が一列にそれこそ田植傘があがる様に、大坪家の人々が皆んな信心をさして頂く様な、事にでも段々なる切っ掛が出来た様に思います。それこそ一列にまあ傘が動く様なおかげも頂かなければならんという様なふうにも思わして頂きました。
 まあ今日頂きます、それこそ道聞けば一時に動く田植え傘と云う様に、私共の云うならば信心が、今月はとお互いの信心の焦点はという様なところにです。皆んなが同んなじ願いの元に一列に信心の稽古をさして頂くという事になって始めて合楽の言わば力ともなる訳であります。合楽の発展はそのまま銘々の家庭の発展に継ながる様な、おかげを頂く為には、唯便乗さして貰うとるというのではなくて。
 自分達もその中の一員である、合楽の大発展を祈っておる一員である。いうならば道を問われたらいうなら今月は報徳祭を目指して、と言った様な所で答えが出て来る様な思いというものがなからなければ、唯十六日の御大祭にお参りをさせて頂くだけに止まらずに、そのお祭りを祈って行くという信心で今月は足並みを揃えて行きたいと思います。
   どうぞ。